死ぬよりドロボーが怖い
師匠である料理研究家の桧山タミ先生(当時93歳)に「みらいおにぎり」という本の執筆のお手伝いのためにインタビューを重ねていたときのこと。話の流れからある質問をなげかけました。
「桧山先生、死ぬことが怖いと感じたことはないんですか?」
弟子の私から先生に聞くのは大変失礼な質問ではあるのですが、話の流れからどうしてもお聞きしたくなったのです。
先生はにっこりしてこう返されました。
「どうして死ぬのが怖いと?みんな死ぬやないの。私は死ぬよりドロボーが怖いわ。」
その時は、先生らしいジョークだと思って大笑いしたのですが、その後、この何気なく返された言葉をずっと心に留めることになりました。
死ぬことは生き抜くこと
確かに死ぬのは誰もが通る道です。生きとし生けるもの、早かれ遅かれ、すべて生から死に向かうわけです。
「明日死ぬかもなんて心配して生きるより、今日も楽しかったって生きるほうがいいじゃない」
先生からそうお聞きして、まさにそうだと思いました。
みんな同じ1日、心配しても楽しくてもみんな同じ1日なのです。
死ぬとは=生きぬくこと。だから生かしていただける有難い日々に感謝をしたほうがいい、そう先生から教わりました。
ドロボーて何?
先生のいう「ドロボー」ってなんだろう。
死ぬより怖い「ドロボー」とは、自然のなりぬきとは全く異なるもの。
ドロボーは心の中の「悪」の総称ではないかと思うのです。
悪の心を持つ人間が近寄ってくるのが、先生は怖いとおっしゃる。悪の心になっていくことも怖いのです。
死ぬことはあたりまえだけれど、悪はあたりまえでなく、人が作り出すものなの。
そういうことじゃないかなぁ。
先生の言葉にはいつも含蓄があります。
私がみなさんに伝えようとしても、私自身の成熟度が追い付かず、ホントにもどかしい限り。