料理家かカリスマ主婦か問題の雑感

先日、東洋経済で「栗原はるみと今の料理家の決定的な違い」という記事を寄稿されていて「ふーん」と思いました。
一部抜粋。
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今最も人気の高い料理家の1人、山本ゆり氏はあるモヤモヤを抱えている。それは、テレビなどのメディアから取材を受ける際、プロフィールに「主婦」と入れられることだ。(中略)「料理家」というキャリアを築いているにもかかわらず、いまだに主婦の延長線上にある仕事と捉えられるのはなぜなのか。(中略)

山本氏は、単に「主婦」と書かれるだけでなく、「カリスマ主婦」と紹介されることもある。しかしそれは「主婦の方に申し訳ない」と山本氏は言う。それは、自身を「どちらかといえば仕事人間」と位置づけていることに加え、家事が苦手だからだ。(中略)

山本氏にとって、仕事で作る料理はあくまで「商品」という位置付けだ。撮影で忙しいときは、「『商品』はあるけど、夕ご飯は作れていないことがあります」(山本氏)。そんなときは夫に子どもたちを外食に連れ出してもらったり、総菜を買うなどする。家族に食べさせる料理は撮影用とは別なのだ。(中略)料理家が主婦と混同されやすいのは、料理家と主婦が密接に関係してきたからかもしれない(中略)

主婦は、時に自分を犠牲にしながら、家庭を守ることに注力する人たちである。一方、料理家は時間と労力を費やして、幅広い人たちに再現性の高いレシピを提案する人たちである。そのレシピが多くの家庭の食卓を、より豊かにしてきた。主婦はもちろん、初心者も高齢者も、レシピがあったからこそおいしいご飯を作れた、という人がたくさんいる。

だからこそ、料理家たちはその仕事でお金をもらい、自分や家族を養っているのである。主婦業の延長線上でプロになった人、料理が好きで家庭生活とは別に料理家になった人、そのいきさつは人それぞれだが、レシピでお金をもらっている人たちは皆、プロフェッショナルな料理家なのである。

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はしょりましたが、そんな記事でした。

つまり、いまは栗原さんの時代の料理家とはスタンスが違いますよということ。

自分は料理を仕事としてやっているので、主婦の延長とみてほしくないという。

なるほどなるほど。でも、そんな肩肘はらなくても、そもそも「カリスマ主婦」っていうのは、料理家さんのレシピを求める人たちにとっての憧れになるためのマーケティングワードだったんじゃないでしょうかね。むしろ、主婦に足を突っ込んでいたほうが好まれることが多かったってだけで。

以前、とても料理が上手でいらっしゃる医師のご常連さんがこんなことを話してくれたのを思い出しました。

「長年A先生の自宅料理教室に通っていたんですが、実は最近やめたんですよ。というのは、、、前回行ったときにちょっと難しい家庭料理でですね。終わるのがちょっとだけ遅くなったので、先生にご家族のお夕食は大丈夫ですかって聞いたんですよね。そしたら、主人にホカホカ弁当買ってきてって頼んでるから大丈夫よって言われて。私たちのせいでそんなことになってるなんて悪くって、お教室やめたんです。」と。

さて、さっきの記事の件。

主婦といわれたくない仕事人としての気持ちはわかりますが、カリスマ主婦っていうのは集客(共感)ワードとして使われていたんじゃないかなって思います。そう考えと、「家族に食べさせる料理は撮影用とは別なのだ」を言わないほうがいいんじゃないかなあ。それは胸に収めておけば。それも仕事のうちじゃないかな。

もちろんプロフィール欄に書く必要はないとは思います。それは断ってもいいと思う。

私はいいですよ。プロフィールに「道具店店主・主婦」とかでも。一向にかまいませんけどね。家事も仕事もどっぷり足をつっこんでますから。