メンタリストDAIGOの憂鬱
たまには、仕事でない話。
最近、メンタリストDAIGOさんが、自身のYouTubeで「ホームレスの命はどうでもいい」「ネコの命のほうが大切」などと、路上生活者や生活保護受給者を差別した発言が気になっています。
猫好きなのはわかるし、殺処分などに憤りがあるからこみ上げたってのもわかる。強いお酒をのんでいたであろうこともわかる。だとしても生活困窮者にネコ愛のとばっちりは無い。言いすぎです。
だだでさえ苦難の中にいる方々の気持ちを思うと、ほんとに「なんてことを、、、」と拳を握りしめたくなる一方で、DAIGOさんのようにすべてを持ち合わせたような勝ち組の方でもこんなに寂しいんだなぁと思わずにはいられません。あんなに人の心理を操り、高収入をひけらかして自慢しているのに、心の中は闇だらけだなぁと。
謝罪の謝罪動画を最初だけちょっと見ました。
「生活保護・ホームレスの方たちのことを理解していなかった」「自分の家族を否定される苦しみを理解してなかった」というようなお詫びを繰り返していますが、ほんとはそこじゃないんじゃないですか。「知らなかった」「理解してなかった」のではなく、謝るべきは、「傲慢さ」と「人としての未熟さ」です。
以前、彼は動画で「叔父がきらいです。死んでも悲しみません」「僕を追う記者を二度と復帰できないようにしてやる」などと数百万の視聴者に言い放っていたあたりから、弱いと吠える未熟さがいずれ問題になるだろうなと思っていました。
そもそも、彼は人を信用できないんじゃないか。自己否定があるから、見下されないようにあんなにがんばっているんじゃないか。だから努力をして這い上がり、あそこまでなったんじゃないか。自分の不安と恐怖から逃れるためにメンタリストになったんじゃないか。
人の心を操作するような動画をたくさんあげているDAIGOさんなら、そのスキルを表面的でなく、自分の奥底にある本当の自分を探ることに使ったらどうだろうか。
自分が自分のままで肯定できる幸せな人は、お金持ちをひけらかしたり、誰かを見下したりしません。自分が不幸だから相手も否定する。心が貧しいままなんですよね。
これまでの動画でよく他界されたお母さんの話をされるDAIGOさんですが、あれはほんとはもっと生きてる間に自分を認めてほしかったのかんじゃないか、学校でずっといじめにあったときに助けてほしかったんじゃないか、、、。違いますか?
そんなことをあれこれを考えてしまいました。
本当の心の強さは、心の余裕のこと。ロマネコンティを飲まなくても素のあなたを好きになってくれる人がいますから。