桧山タミ先生と運転手さん

今朝は、料理家の桧山タミ先生(94)に久しぶりお電話を差し上げました。単なるご機嫌うかがいのつもりが先生の昔話、それも「ちんちん電車」の運転手さんの話にすっかり引き込まれて、つい長々とお話ししてしまったのです。

昭和の初め、福岡市内には路面電車(ちんちん電車)が走っていたそうです。先生は時折、学校帰りにその電車にひとりで乗って帰ることがありました。バスの停留所は福岡・天神の西鉄グランドあたり。

桧山先生は大好きな運転手さんがいたそうなのです。乗ると必ずはなしかけてくれる運転手のおじさん。

「はい、今日もきたね」

「あそこの席があいてるから座らせてもらいなさいよ」

「今日もここでさよならだね」

時には雑談をしたり、ポケットから飴をくれたり。

運転手さんの電車に乗り込むと、いつもにっこり迎えてくれるのがうれしくてしかたなかったタミちゃんは、何十回もその運転手さんがくるまで待ったそうですよ。

タミちゃんが乗る駅は2駅。あるいたほうが断然早いのに、その運転手さんの電車がくるまでずっとまったそうで

「2時間くらいは待つことあったわね」と先生。

運転手さんを思いだしながら先生は言われました。

「いい時代でした。なんだかみんな変わってしまったように思えるけれど、ほんとうはみんなそんな気持ちを持ちたいと思っているはずなんだけどね。子供たち誰にでも同じように温かい目をむけてられる大人に。仕事もそうでしょう。相手の気持ちを考えて商売するのがいいのよ。楽しいじゃないそのほうが。楽しく生きないとね。」

わたし、朝からじわーっと温かくなりました。

「先生、その運転手さんのことずっと覚えていたんですか?」と尋ねると

「最近まで思い出さなかったの。でも、どこかでそんな人になりたいと思っていたと思うのよね」

 

94歳になられて思い出した7歳のころの運転手さんの記憶。そういう出会いが先生を作ってきたのだなあと思います。あー私も出会った人にはみんなに笑顔でいよう。そう思ったのでした。