AI・人工知能にできないことって?
お盆休みはどうでしたか。今日8/15からお店の営業が再開です。
私は数年ぶりに地元の花火を眺めたり、いとこや叔父、叔母にも会いに行き、お墓参りにも行けました。
若い頃は、身近な友達と遊べる時間が削られるお盆は面倒に感じることもあったのですが、大人になるにつれて、またさらにこうも親戚たちに会いづらくなると、家族の時間や親戚に会えることの幸せを心から感じます。
世の中では「AI・人工知能にできることが多くなるので乗り遅れないように」とよく言われます。私も一応お店を経営しているので特にこういうことは無関係ではいられません。
お店で分かりやすい例だと、ここ数年も経理。せっせと書いていた帳票は勝手に予測して入力してくれるようになりました。5年前に比べるとAIの知識が上がったのが予測の間違いもかなり減りました。
膨大なデータを入れ続けることによって、限りなく知識量が増え、AIが判断してくれることも増え便利になるのでしょう。便利になって幸せになれば言うことないのですが、なんとなくそうはいかないこともわかります。
AIはデザインをするとか絵を描くとか、小説を考えるなどの「無から有を生み出す」ようなクリエイティブなことに関しては苦手といいますが、実際にはもう「売れる曲」や「感動させる絵」は作れるという人もいます。
ひらめきや直感などもそれっぽく作り上げていく時代に突入するのでしょう。
でも、どうしてもAIでは無理なこともあると思うんですよね。
例えば、応援すること。
自動的に金銭的応援して振り込む、ならできるかもしれませんが、ひとりのお客様から「いつも応援しています」と直接言われたら、涙がでるほどうれしいです。そういう応援。
祈ること。AIは祈ってくれません。祈るって言葉だけじゃなから。
言葉でなくても相手から感じるものだからです。
そして、愛することや愛されること。どれだけお金を払っても愛に関する技術は手に入らないでしょう。
愛を欲しい人が、AIを使って愛の幻想を購入できるようにはなるかもしれません。でも、購入した時点でほんとは気が付いているのです。造りものだと。
AIで人が便利になり助かる部分と、私たちが本当の意味で一瞬ではない幸せを感じる人生を歩むことは全く別の次元なんですよね。
応援や祈りや、愛について、人口知能がサポートできることがあるかしら。
あるとするなら、子供たちが将来幸せを感じられるような脳の成り立ちをどう組み立てるのか、それが早道ではないかなあ。
そんなとりとめのないことを考えた夏休み。単なる雑感でした。
今日からまた仕事がんばりまーす。