子離れの寂しさと焦りのこと

 

 

昨日、お付き合い先の方と久しぶりに食事をしました。女性の管理職でバリバリ働いている女性です。私の高校の先輩ということもあり長らく仲良くしてもらっていて、帰り際に立ち話で、東京の進学したばかりの一人息子さんの話になりました。

「大学生活が充実してそうで安心しているけれど、もう私が電話かけてもそっけないのよ。
子育て終わったんだなと実感すると同時に何だかやり足らない感があるのよね。だからどうってわけじゃないけど。そんなものかしら。」

激しく同意しました。

帰る道すがら私たちは、この「やり足らない」という感覚はどこから来てるのかを話しました。ひとまずの答えは、仕事が忙しくて普通の主婦の方を比べて圧倒的に一緒にいる時間が少なかったからではないかと。それなのに、中途半端な状態で手放してしまったので、そういう感覚になるのではないかと。

彼女は毎日心のこもったお弁当を作り、食事も夫に任せることなくひとりで担い、時間があれば家族で旅行に出かけ、仕事が忙しいのに本当によくなさっているのです。それでもやはりすべての時間を息子にかけられなかったという不足感がどこかにある。それは私が娘を東京に送り出したときと同じ感情。

私の主婦の友人は全く逆で、主婦となり子育てに没頭し、子供が大学に進学するときは「これで子育て卒業!やりきった。あとは好きなことする!」と達成感で満ちていて、だいぶ私の焦りというか物足りなさと違うものだなと思いました。

この気持ち「やり足らない感」は、主婦か仕事してるかだけで決まるわけではなく、あふれる母性の消化具合の問題なんですよね。だから人のよって違う。(母性と仮に呼びますが、父性でもそれはかまわない)母性以外の時間をたくさん使っていて、母性が使い切れていない。

そのような足りない感は母性だけでなく、女性として使いきれてない方もあるし、職業人として使いきれてない場合もあるでしょう。人生、そのバランスがなかなか難しいってこと。

女性も男性と同じように働くようになっても、DNAに埋め込んである母性(父性でもいい)は相変わらず存在していて、消化できずにいます。それが焦りにも似た「やりきれなてない」という感情をもたらすのでは。

私の娘は、私の消化不足をわかっているようで、帰省するたびに友達を家に何人も呼び込み、料理を私に頼み、さも「みんなの面倒みれるからうれしいでしょ」といわんばかり。私の母性の消化不足を理解して足元みられています。笑)

とうとう消化できないまま娘は今年社会人になってしまいました。
子育てと仕事の両立であんなに大変だったのに、また子育てしたいと思ったりしてます。それはムリか。