料理は女性がするものか?

サザエさんは放送されなくなる?

ややこしい時代になってきました。社会派ブロガーのチキリンさんが、「まもなくサザエさんは放送されなくなる」と予測。

理由は容易に想像つくと思いますが、「女性が料理をする」という役割を押し付けられた古いタイプの家族の在り方が受け入れられなくなるから。

チキリンさんは、2020年にファミマが出したお惣菜、プライベートブランド「おかあさん食堂」も、「お母さんが食事をつくるのが当たり前」というアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)を助長しかねない(ビジネスインサイダー)という波に押されて名称を変更した、と伝えていました。(調べるとファミマは理由はそれではないとはいう)

多様性がもっとまっすぐ進めばいい

男性が料理すること、女性がどんどん外にでることは私は大賛成。全く違和感ありません。その現状に、制度も社会もなかなか追いつかない感じですよね。女性が料理してもしなくても構わないと思いますよ。だけど、強制されるのはまっぴら。強制されずとも、「女らしく」「妻らしく」「母らしく」「嫁らしく」または「社会人らしく」、私なら「社長らしく」「歳相応で」というような空気が蔓延している世界も息苦しいです。

多様性=互いに非常に異なる多くの人や物の集まりを受け入れる

世界で多様性の旗が振られ、ようやく日本も舵を切ったのは喜ばしいことです。(日本も舵を切ったふりも多いけど)一方で、多様性っていうのは、お母さん食堂もサザエさんもダメなってことなんでしょうか。

「料理は私がしたい」という多様性は?

子育て真っ最中の頃、「夫が料理を作っていて仕事から帰った妻を迎える」といったCMが流れていました。

「男性が料理をするっていいよねー」「たまにはうちもやってくれるといいな」と思う反面、こんな気持ちが湧き上がってきました。

・たまに料理してもらうのは嬉しいし、困った時には喜んで台所に立ってほしいけれど、料理は基本的には私がしたい

・家族の健康を考えながら何を食べさせようかと頭を巡らせるのは、多分、私のやりがいです。料理がしたいんです(もちろんしたくない時もあるけどね)

・私の料理や食卓の風景を、押し付けることなく子供(友人、夫、そのほか)未来で共有したい(←この表現難しいけど、ほかに浮かばない)

料理の時間がないジレンマの解決法

そうはいっても、娘が0歳で起業してしまった私は、圧倒的に時間がありませんでした。

娘が小さい時は18時にはダッシュでお迎え。就寝後にまた仕事。
小学生3年からは鍵を持たせたので、20時帰宅ということもよくあり、今度はダッシュで料理をしなくてはいけませんでした。そこで、20分でもおいしく作る方法を考えたのが、自分の仕事だった「よい台所道具」でした。

土鍋にご飯をセットすることや、お湯を沸かすのは、小学生の娘に帰宅コールをするときに頼みました。帰ったら30分以内に立派な手作りの料理が並べられるようになりました。いまでもダッシュ料理、得意です。笑)

蒸すだけ、焼くだけ。助けてくれるのは、信頼できる道具と、使い方を覚えてくれた娘。笑)
もちろん、夫は仕事で稼いでくれていますので、それは十分助けてくれたといっていいと思います。
(もと夫ですが)

男性性と女性性の問題

男性と女性にはそれぞれ脳の特徴があります。体と心が違う方もいますが、これは心の問題。

例えば、いろんなことと同時に考えるのが得意な女性。ひとつのことに熱中するのが得意な男性。

人にしゃべりながら答えを出すので会話の寄り道が多い女性。結論が先の男性。

「美味しいものを食べさせたい」と思うとき、家で何かおいしいものを作ろうと考える女性。
豪華なレストランや旅行に連れていこうとする男性。

これはその割合が多いという脳の特徴であり、なんら決めつけるものでも縛るものでもありません。
お店にきてくださるご夫婦はこの全く逆も何人もいます。それも大歓迎。

話をサザエさんに戻す

サザエさんがイヤイヤ料理をしているなら、それはそれで押し付けといえるかもしれませんが、そうじゃないでしょう。サザエさんをみたところで、男性がサザエさんのように家族に料理を作ってあげてもいいんではないか。

問題は、サザエさんに対して夫は感謝しているかや、家族が仲良くやっているかの問題ではないでしょうか。

女性が料理をするのが偏っているのなら、「家族が仲がよい風景は、シングルマザーを傷づける」ことにもなり、「子供を産む番組は産めない人を傷つける」ということいなるのではないか。

もちろん、多様性を軸にするために、全く逆に一旦舵を切るという方法も理解はできます。

「すべてのドラマで料理は夫にさせる」とか?

私は、私が忙しくても料理をしたいというだけで、そんな多様性も認めてほしいなって思うんですよね。
料理をしたい私が、女性だったってことで。

「ステレオタイプ」の捉え方、間違ってないかな。もう一歩進むと、先が見えてくる気がしますが。