村上春樹の「身体システム」
村上春樹の著書で「走ることについて語るときに僕の語ること(文藝春秋)」という本があります。
私はハルキストでもなければ、初期のノルウエイまでくらいの著書しか読んだことがなく、どちらかといえば何十万部も流行れば流行るほど読まなくなるほうです。いわば「流行るからって読みたくない」というあまのじゃくな性格なわけです。
ですが、このエッセイは何度読んだかわかりません。
走ることについて語るときに僕の語ること
文春文庫のオンラインでの説明を借りると
引用)僕は小説を書くことについての多くを、走ることから学んできた——
走ることについて語りつつ、小説家としてのありよう、創作の秘密、そして「彼自身」を初めて説き明かした画期的なメモワール
という内容です。
何度も読みかえす理由
何度も読み返したくなる理由は、私が何気なく思っていたことを見事に言葉に変換してくれているからでしょう。
目の前に問題を抱えた時、折々の私の励みになったからだと思います。
彼がなぜ毎日走るのか、なぜ長く走りたくなるのか、そしてなぜ小説を書くのか。それは読者それぞれの「なぜ」につながります。意味があるかどうかわからないものに意味を持たさせる、納得させるのです。
私がノートに書き留めていた内容から引用
「小説を書くのに必要なのは、才能と集中力と持続力。集中と持続力はトレーニングで補うことができる。後天的に獲得することができる。またその質を向上させていける。これは筋肉の調教作業に似ている。」
「情報を身体システムに継続して送り込みしっかりと覚え混ませると言うことである。そして少しずつ限界値を上げていく。」
「若いうちはある程度の才能があれば小説を書き続ける事はさせて困難な作業ではない。様々な難問をやすやすとクリアしていける。若いと言うのは全身に自然な活力がみちあふれているということなんだ。若くて才能があると言う事は背中に翼が生えているのと同じなんだ。」
「才能に恵まれていない作家たちは若いうちから筋力をつけていかなくてはいけない。訓練によって集中力を養い持続力を送信させていく。そしてそれらの資質をある程度まで採用の代用品として使うことを余儀なくされるそのようにしのいでいるうちに、自らの隠された本物の才能に巡り会うこともある。」
勉強に励む、仕事に励む人たちに
「身体システム」というのは、村上春樹の造語でしょう。
「身体システム」について、「訓練によってしかたどり着かない才能」と表現しています。
人は、「こんな試験勉強なんて無駄じゃないか」あるいは「こんな人がやらない大変な仕事を引きうけて無駄じゃないか」そんなことを思いがちです。
でもそれは間違い。
情報を「身体システム」に継続して送り込みしっかりと覚え混ませるということ、それはいつの日か自分の隠れた才能を見つける大切な軸を作っていく。
才能というのは何も有名な小説を書くとかオリンピックで金メダルとるとか、そんなことではありません。
自分が納得できる自分にたどり着くことだと思います。
ホリエモンさんに
ホリエモンさんがいつか、「いまは鮨屋は3日で繁盛店を作れる」と言っていました。これは「鮨の修行なんかやってられん。修行しなくても鮨屋ははやる」ってことなんでしょうが、これは、彼がやりたいことは「短時間で儲かる」ことであり、村上春樹のいう「身体システム」とはまったく別物です。たゆまぬ努力で技を身につけることで身体システムを向上させていくこととはベクトルが180度違います。
ベクトルが違っていても儲かるわけですから効率はいいでしょう。ですが、職人がそれをすると、実は知らぬ間に失うものもあるということも覚悟しなくてはいけません。
好きな本を紹介するつもりがつらつらと書いてしまいました。
ようするに、そういうことです。笑)